【 掛軸の伝来 】
飛鳥時代は中国から仏教が伝来した時期であり、掛軸は仏教を広めるための道具とし初めて日本に流入しました。 |
【 床の間文化の誕生 】
鎌倉時代になると、頂相(ちんぞう)(宗派の祖師の肖像画)や詩画軸(画の上に漢詩を伴う掛物)の発達が促されました。更に時期を同じくして宋朝の表具形式が日本に伝来し、後に日本掛軸の基本の形が確立されるきっかけになりました。 |
【 掛軸の発展 】
室町時代になりますと、中国画人の書画を上中下の三つに分けて分類されるようになり、やがて「大和表装」と呼ばれる「真・行・草」(しん・ぎょう・そう)という格式を表す表装形態が確立されました。 |
【 掛軸の普及 】
江戸中期には職業画家でない文人 (知識人) の制作する「文人画」という絵画が流行り、大和表装と文人表装の技術が更に発展していき、掛軸が貴族から町民まで広く楽しまれるようになります。 (大和表装と文人表装について: http://www.gifujikuso.jp/01hyougu/04keitai/index.htm ) 江戸や京都のお抱え絵師たちにより数多くの作品が生み出され、芸術的価値が高まっていきます。また、江戸時代は大きな戦がほとんど起きなかったため、様々な文化が爛熟期(らんじゅくき)を迎えました。それ以前の床の間は、館や城の広間に建てられ、一部の権力者しか楽しめませんでしたが、徐々に庶民にも広く普及し始めました。 |
【 掛軸の今 】
明治維新以後、より多くの絵師たちが技を競い合います。 |
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